Hepatitis C 1992
2011-07-01


1992年に、何をしてましたか?
私は、学術映画製作会社で、ADをしていました。
青春後期は、ほぼそこでの作業に没頭することで終わりました。
ドキュメンタリー専門の小さな小さなプロダクション(社長、監督、助監の3名)で、在籍3年。 その間の作品は数えるほどしかありませんが、毎日いろんな人が関わって、いろんなことが起こって、最後に1つの作品になるというプロセスがすごかったです。

というわけで、最初で最大の企画:Hepatitis C 1992のエンディング。

中村徹雄さん(故人, 当時 Institute of Immunology, Gene Production などの代表取締役)たちが共同研究していた先生方のいるインドネシアのロンボク島の風景が広がります。
鼎談は、伊豆の清流荘の一室で。金井弘一先生(故人)が聞き役で、西岡久壽彌先生(故人)がアジアを熱く語っておられます。
波は伊豆で、私は海から照明助手してます。 近隣の魚やさんで、胸まである長靴を3つ貸していただきました。

日の出は大洗です。
機材借りてるし絶対晴れにしろと言われ、めでたく晴れました。
音楽はすべてオリジナルです。
最後のピアノを弾いているのは世良譲さんです。

エンドロールを含むアニメーションは東大の認知心理学教室(視覚実験の被験者をしてた関係で)から拝借したマクロマインドディレクターを使った手作りです。
ではどうぞ。 なお、3分10秒まで見たときに、きれいな瞳に出会えます。


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